おかゆになってしまった…
インドネシアのことわざでは、「おかゆになってしまった」という表現があります。
どういう意味を持つかといういうと、「取り返せないことをやってしまった」、あるいは「元に戻れない状態にあります」ということです。
おそらく昔は今の時代の便利な炊飯器がなかったから、ご飯を炊くときに加熱しすぎて結局おかゆになってしまったという由来でしょうかね。
なんでこんなことを書こうかと思って、最近自分の周りに、決めなきゃいけないという出来事がたくさん出てくる気がします。
これからの進路とか、研究室決めとか、クラブの選曲とかですね。
周りの人は、どっちを選ぶべきか分からなくて、すごく悩んでる人もいるようですけど、僕は正直今まで、人生の歩み方を選ぶときには、悩んでたという記憶はありません(ちなみに電気製品買うときはすごく悩みます)。僕の性格でもありますけど、とりあえず運命の流れに乗っていって、特に深く考えてはいません。日本に留学を決めたのもただ単に奨学金もらっちゃったからだけです(「一緒に受けよう」と僕を誘ってくれた友達が逆に試験で落ちてしまった、あのとき誘ってくれなかったら今はまだインドネシアにいるでしょう、まさに運命ですね)。何でマンドリンクラブに入ったというとただ単に合唱団体の練習時間と合わないからです。
今週はこれからの自分の配属される研究室を決めるんですけど、少なくても1年間、院行ったら3年間ですね、これからの人生の道を選びます。一応僕はもうだいぶ前から決めたけど、今悩んでいる人もまだ結構いますね。研究室を選ぶ基準もざまざまみたいです。興味はもちろん、研究室の綺麗さとか、雰囲気とか、研究室がゆるいとか(逆に厳しいところが好きな人もいますが)、先生との適性とか、就職先とか、英語が鍛えられることとか、どんな先輩がいるとか、同級生が誰が一緒に入るとか、色々ですね。これからの3年間の人生の道を選ぶから当然まじめに考えないといかないけど、周りの話しから他人の判断基準を聞くと時々驚いたこともありますね。それぞれの人は価値観が違うんだなと最近よく思いました。その中でも、同級生や先輩で研究室を選ぶ人がいることに、一番驚きましたかな。まあ、驚くほどではないけど自分の優先順位ではそんな基準は低いところにあります。無愛想な利己心のかたまり僕には分からないことでしょうかね。
大学を選ぶときは、日本語学校の親友がどの大学に行くかまったく無視して九大を選んだわけですね。今東北大学で僕の親友が幸せそうな生活をしている写真をFacebookでよく見ています。ときどきは、もちろん、僕も一緒に東北に行けばよかったな、と思ってます。ただ、そうしたら、今では自分の人生の一部になる九大マンドリンクラブと出会うことはなくなるでしょう。そう考えたら、やっぱり人生では、間違った選択はないです。少なくとも、そう信じていきたいです。一方をやめるときは、もう一方の扉が開くっていうことですかね。僕の中では、「これじゃなかったらだめです!」ということはほとんどありません。選曲とかもね、自分が弾きたい曲が定演で弾けるんだったら嬉しいけど、別にそうならなくても、テープ鑑賞で好きじゃなかった曲が、実際弾くとすごく好きになったということは今まで何回もありました。
今日の題名に戻ると、今選択しました、もう決めました、替えれない、戻れない状況にあります、おかゆになってしまいました。大事なのは、「これからどうする?」ということでしょうね。ご飯食べたいからおかゆを捨てますか?泣きながら食べますか?時間を犠牲にしてまた一から作り直しますか?僕は、世界で一番おいしいご飯を炊くのを失敗しておかゆになってしまったら、次の目標は世界で一番おいしいおかゆを調理することですね。そんな人生を歩んで生きたい。
Posted on Desember 13, 2011, in Uncategorized. Bookmark the permalink. Tinggalkan sebuah Komentar.
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