考えすぎちゃって
暇だからブログ更新しました。
やはり僕は暇になると余計にいろんなこと考えすぎちゃってしまうもんだから、頭の整理も含めて色々書こうと思ってます。
今回は、今までも何回か自分の中では現れるトピックであるけど、解決はまだ見つかっていません。
忙しいときはこんなこと考える暇はないけど、最近生活のペースが一段階落ちてきたので改めてこんな話が頭の中に現れる。
最初に考え出したのが、「性格」の問題。
人間の性格って、変えられるもんかな?
変えられるんだとすれば、変えるべきものでしょうか?
人間って誰でも欠点を持ってるだよね。
例えば、「掃除が嫌い」とか、「ゴキブリが怖い」とか、「人を馬鹿にするのが趣味」とか。
そんな場合、
1)性格は変えられるものだと信じる→欠点を頑張って直すべきものである→もっと「良い」人間を目指す→幸せな人生を送る。
2)性格は変えられないものだと信じる→欠点も自分のひとつの部分として受け入れる→自分の欠点を許す人間といい関係を作る→幸せな人生を送る。
自分ももちろん、変えようとする欠点は、あります。
しかし今までは、頑張って直すとしても無駄でした。
一方、欠点を受け入れる心も、自分は持っていなさそうなので、ジレッマですね。
ちょっと枠組みが違って、似ている問題としては「満足」の問題です。
クリスト教の家族に育っていた僕は、小さいころから、すべてのものは神様が与えられたものであって、それに対して、感謝の気持ちいっぱいで受け入れるべきだと教わってきた。
しかし、僕の中では、負けず嫌い、野心満々のヒンドラは存在します。
そのヒンドラは、人生では、一番のところを目指すべきと考えています。
そのまま満足しちゃったらいけないんだと。
幸せと満足は非常に関係が深いと思うよ。
期待があって、その期待が満足されていないんだと、人間はやはり悔しくなる。
幸せになるためには、じゃあ、期待を低くすればいいのだろうか。
ちっぽけな期待で満足できる人間ではいいのか。
逆に、満足できず、永遠により良いものを求めようとする人間になるのも、いいのでしょうか。
これも、性格の問題と同じで、自分の中ではまだジレッマの状態になっている。
このことも、いろんな人と話したけど、その反応としては
友達A:「お前考えすぎやな。そこまで考えなくていいんだもん。」
ヒンドラ: 「確かにそうだな。自分もそう思うよ。でも暇なときはどうしてもこうなるんだよ。考えすぎることも自分だっていやなんだけど。でも暇な人になりたいの。またジレッマだね。」
他の反応は
友達B:「だからこの前自分で言っただろう。「答えはなし、自分が信じているものは正しいものになる」。自分が性格が変えられないと信じているから、こんな問題になるのよ。性格変えればいい。考えすぎる人間ではなく、満足できず人間ではなく、気楽に人生を楽しめる人間になればいいんだよ。」
ヒンドラ: 「だから難しいことを言ってるんだよ。信念はそんな簡単に変えるもんじゃないよ。」
友達B:「だからそう思ってるから変えられないんだよ!」
ヒンドラ:「確かになあ…
でももっと考えると、」←( 友達A:「だから考えすぎだよ!!」)
「性格を変えるって、結局自分に満足できないんだから変えようとするでしょう?それで、満足できる人間になるという性格になりたい、ということは、矛盾じゃないの?自分の性格に満足できないなのに満足できる人間になるって、おかしいでしょう、ほら。」
まあ、色々書いたけど自分の頭の中でもまだぐちゃぐちゃ。何がいいか分からなくなるな。やっぱ考えなくていいのかな。永遠の答えのない問題としてほっとけばいいのかな。なんか今非常に複雑な気持ちにあるけど、ぐちゃぐちゃで意味の分からないポストになってごめん。
Posted on September 13, 2011, in Uncategorized. Bookmark the permalink. Tinggalkan sebuah Komentar.
Tinggalkan sebuah Komentar
Komentar (1)