欲張りすぎる怠け者

春になった。
一応大学院に進学したけど今となって何で進学したのか疑問を感じ始めた。
「もうちょっと考えればよかったなぁ」と。
早く就職したい。
就活すればよかったなぁ。
でもまぁ、部活を続けるのという前提で、就活をやるのは、僕には無理だったかもな。
周りにはそれをやり遂げたすごい人は何人も見たけど。

せっかく院まで行ってるので有効に時間を使いたい。
日本にとりあえず就職を探してみようとは決めた。
その準備も、そしてこの春から色んなことをやりたいなぁと思ってはある。
ただやる気がない。
毎日だらだらしてる。

研究はもちろんやる。
好きだけど、永遠と実験室の人生はいやだ。
もっと世界を広めたい。
でもまぁ、この2年間は微生物と仲良く暮らすつもり。

後は日本語を磨きたい。
もう6年目に入って、成長しつつはあるけど、これで満足したらダメな気がするね。
一応就活にも使えそうな、日本語能力検定を受けるつもり。
その関係でマンフェス出れなくなったけど。
参考書は先週買って、やっぱり分からない文法とか混じってる。
まだまだ満足できるレベルじゃないなぁ。
磨きたい、日本語を。

そして英語。
まぁこれは日本で就職と考えたらまだ後でも磨けるかなと思って。
TOEICの勉強は一応やろう。

音楽。
社会人団体には入った。
明らかに技術が劣化しつつ。
譜読みの能力も全然ダメ。
ヘ音記号も早く速く読めるようになりたい。
色々やりたいけど現役の時みたいに時間は取れなくなるんだろうな。
続けられるのかな。

勉強。
変な授業は取らないつもりけど、最近起業とか興味を持ち始めて、QRECの授業を数科目とる予定。
土曜日午前中2コマの授業とかあったけど、一回目の授業を聞いたらかなり面白かった。
先生の熱意を感じた。
ただ「教育が仕事の義務」ではなく、本当に教えようとする先生。
取る価値ありそうだから、履修しようと思ってる。
またこれで時間食われるけどね。
続けられるのかな。

バイト。
インドネシア語講師としてバイト始めようとしてる。
初めての経験なんだけど、これも上手く時間管理したいね。
続けられるのかな。

学会。
そして論文。
今年一回は出るつもり。
これも心配だけどな。
研究が順調に進んだら全然いいんだけど。
やる気ない。

欲張りすぎる。
でも怠け者。
こんな性格が大変だ。

5年間のチャプター

学位記・農学部賞

5年前のこの日には、何してたんだろう。
きっと、不安を抱えながら、これからの留学の生活を心配してるんだろうな。
神経質だから、間違いなくそうだろう。
経済的に困難な家族ではなかったけど、
日本に留学できるぐらいのお金は持ってなかった。
幸運に恵まれ、何とか国費留学生として、勉学のため日本に飛ばされた。
それは、もう5年前の話しなのか…

当時は、全然日本語できなかった。
日本に来る前に、ひらがなぐらいは勉強しようかなと思ってたけど、
怠け癖で、「あいうえお」覚えて、結局「かきくけこ」のところで諦めた。
残りは日本に着いてからでもいいやろう、と思ってた。

日本語は、1年間、東京外国語大学で学んだ。
ひらがなが「あ」から「こ」までしか読めなかった生徒だったんだけど、
今この文章が書けるのも、
外大の先生方の指導の熱意と愛情の証明にほかならない。
慣れない環境で、一から教えたり、いつも優しく接してくれて、
今思い返したら、本当に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

大学は、京大を目指してた。
ただ、数学の成績が悪く、京大には落ちたけど、
何とか九大に入ることができた。
人生って不思議、どこに道が開くのは分からない。
当時、あの一回の数学試験で、
例えめっちゃいい点数が取れて、京大に入ったら、
今人生の一部となる、マンドリン音楽には、出会えなかったんだろう。
おかげで、音楽を通してたくさんの人との出会いに恵まれ、
楽しく大学生活を過ごせました。
これは、40、50年後にも忘れられない人生の一部となった。

勉強は…
1年生の時は、授業に慣れなくて、
日本語の意味を理解するだけでも精一杯だった。
2年生の時は、大学生活にもなれてきて、
楽器の面でも、曲が弾けるようになって、一番幸せな時期だった。
3年生はめっちゃ大変だった。
午前中は授業・午後は実験、そして部活、その暇なときにはレポート。
正直、途中でモチベーションを失ったときは何度もあって、
「何で俺こんなこと勉強しないといけないんやろう?」
「何でこんなこともやらないといけないんだろう?」
とか思ったことはしばしばあった。
でもお金をもらって、
勉強のために飛ばされたんだから、
ちゃんとやらないと、国の恥じになるよな、と。
その責任感で、何とか卒業要件の単位を全部とりました。

4年生は、研究室に配属された。
もともと、縛りが多いと自分の能力を伸ばせないんだろうと、
厳しいところに入ると部活続けなくなるかもなぁと思って、
自由なところを選んだ。
最後の演奏会に向けて、実験もおろそかになって、
だいぶ先生に甘えたんだけど、
卒論のラストスパートで何とか結果が出て、
無事、発表でき、卒業認定された。
いつも励ましてくれて、好きなことをやらせてくれて、ありがとうございました。
これからの2年間もどうかよろしくお願いします。

今日は、その5年間の人生のチャプターの最後の一枚。
卒業式に行って、部活の仲間と祝って、
学位もちゃんともらって、ついでに農学部賞も、授与されました。
1年間共にやってきた研究室の同学とも、いい時間を過ごしてきた。
最後の一枚としては、全然悪くない。

そんな5年間を過ごしてきた。
誇りをもって、充実した5年間送ってきた。
5年前の自分に手紙を送るなら、
「心配するな!楽しんでやってくれ!」
って書きたい。
例え、明日起きたら、時が戻し、5年前のこの日になったら、
喜んで、もう一回大学の人生をやりたい。

悔いの物語。

気持ちを整理して定演の出来事を露出しちゃいます。

実は、ルイブラスのクライマックス、ドラパートが音階で上がるところで、
興奮しすぎてポジション移動するとき指がずれてしまって最後の最高音が弾けなかった。
あの時はものすごいショックを受けた。
速弾きでもなく、難しい指取りのところでもなく、ただ二分音符の音階でミスしてしまった。
たったの一音なんだけど、ドラパートの一番おいしいところなんです。
ドラパートの一番おいしいところでミスをしてしまった僕は本当に許せなかった、正直。
定演で色んなところでミスしてしまったけど、これだけは本当に許せなかった。

心を切り替える間もなくすぐ次の曲が始まった。
最後の定演のメインの最後の曲です。
自分が出した選曲です。
ずっとルイブラスのミスで悔しくて悔しくて、正常の気持ちで神の御心を弾けなかった。
しかも調弦が狂ってイライラしながら弾いてしまった。
自分のミスで心が乱れてしまって、パートを引っ張れないマスターで本当に情けない。
定演の直前に、パート員に最後のメッセージとして「ミスを恐れずに楽しくやって」って言ったくせに、最後の最後の曲で心が乱れてしまった。
情けないのに、やってはいけないんだとは分かってるのに、それでも感じてしまって、悔しさが止められなかった。
そんなミスで悔しがってる自分には悔しかった。
色んなことを考えてしまって曲に集中できなかった。

そんなときに、後ろからはいつものドラパートの音が聴こえてきた。
ホールに行ったら、正直自分の音しか聴こえてなかった。
っていうか自分の音に集中しすぎて聴かないことにしただけかも。
情けないマスターだよね。
そのときに、いつも以上にドラパートの音が聴こえてきた。
今までは、一番聴こえた瞬間かも。
「パート員が全力で頑張ってるのに何やってるんだ」って思ってた。
引っ張るべき存在であるのに、本当にそのときは、パート員の勢いで、押していかれた。
同学も後輩たちも、こんなマスターなのに一回も文句言わず最後まで付いて来てくれて、
いつも全力で支えてくれて本当に感謝してます。
最後のGrandiosoは、心をこめて弾けたのは、皆さんのおかげです。
最後の春の賛歌、全力で弾けたのは、皆さんのおかげです。
定演の一番最後まで励ましてくれてありがとう。

にしても、幕が下りた瞬間では、あの悔いはまだ残ってた。
っていうか色んな気持ちが混じってて分からなかった。
ただ疲れた。
終わっちゃった。

泣いてた人もいるけど、自分は悔いが残ってるままに泣けなかった。
最後の最後の定演で、自分のミスで悔しがってる自分は嫌だった。
けど、情けないのであまり見せようとはしてなかった。
もちろん悔いだけではなく色んな気持ちはあったけど、悔いだけは周りに見せずに、
感謝の気持ちだけはちゃんと相手に伝わらないといけないと思って、
レセプションに迎えた。
自分の悔いは自分で向き合うことにしてた。

レセプションが終わって、2次会行って、3次会はカラオケで朝までやってた。
っていかそういうテンションじゃなかったのでほとんど寝てしまった。
せっかく盛り上げてくれた佐々木先輩のノリについていけなくて申し訳なかった。
また元気なときにリベンジしたいです。

その後は家帰ってちょっと寝て、午後からにアンケートを読みに行った。
途中まで読んで、ドラの先輩からのアンケートを見つけた。
「今のドラパートの一員になりたい」
って書いてくれた。

そのときは止まらなく泣いてしまった。
こんな情けないマスターなのに。
パート員になりたいなんて。
最高のほめ言葉。
一人で泣いてる途中に小森さんが入ってて恥ずかしかったけど(笑)
あの時は、自分の悔いも結局いい思い出になった。
クラブに入って楽しいこともあって苦労するところもあって、
でも全部はいい思い出として自分の中では残ってる。
そこで心が悔いから開放された。
先輩も後輩も同学も、こんなすばらしい人たちとの出会いに恵まれたのは贅沢です。
本当にこのクラブ入ってよかった。
本当に今までありがとうございました。
可能だったらもう一回一年生からやり直したい。
もっと時間を大切にして、もっとクラブ員と楽しい思い出を作りたかった。
少なくともあのルイブラスのところだけはやり直させてほしい。
でもやり直せないことはあるから、それがいい物語になるよね。
やり直せるんだったら全部同じ筋になるから。
本当に4年間楽しかったです。
これで4年間の幕を閉じることができた。

どうも、OB1のヒンドラです。

間違いは練習しない。

いつの間にか自分も4年生になって、部活もあと一ヶ月ちょっとしか残らなくて…
4年間音楽をやってきて、最後には演奏者としてなんかいいこと残したいという気持ちがあって、
今日は練習方法について考えてみたいと思います。

まあ、これやれば絶対上手くなるとかも言えないし、
そもそも自分も忠実にこの方法で練習してきたわけでもないし、
できた奏者としても欠点だらけの自分なんで、
なんか役に立つことが見つかるかなとか、軽い気持ちで読んでください。

奏者としての目的は、いい音楽を作ること。
いきなり演奏会で何の準備もせずにもちろんそんなことはできないですよね。
いい音楽を作るためには何よりも習練が大事です。
ある名言によると、「アマチュアは、弾けるまで練習する。プロは、ミスできないまで練習する。」
練習しなくていきなり上手くなることはまずない。

じゃあ、初めて次の定演の楽譜をもらった時、まず何から始めるのか?
「わ~い、今日全部弾いてやる!」という熱心の気持ちはいいと思うけど、
自分の経験からだと、それは効率悪い練習に繋がりやすいよね。
曲について何も分からずに、「とりあえず弾いてみよう!」っていう気持ちで練習しはじめたらもうアウトです。
しかもいきなり本番テンポ。
「わ~い楽しい!」とかね。
本番テンポはこれぐらいになるから、
「なんで遅いテンポでやらないといかんの?」とか思ったことはあったけどね、自分も。

一週間たった。
「まだ全然弾けないけど、とりあえず今日もちょっとずつ冒頭から通してみようかな!」とかね。
「指取りは全然決まってないけど、まあとりあえず何回も何回も練習すれば上手くなるよね!」とか。
「でもやっぱりここは難しいよね、何回弾いても結局上手くいかない…」とか。
ストレスが溜まって、「とりあえず今日はここまでしておこうか!まだ十分時間あるし!」とか。

定演では。
「一週間前に指取り変えたから、本番上手くいかなかった…」とか。
「めっちゃ難しいところはめっちゃ練習してたから上手くいったけど、何もないところでミスしてしまった!」とか。
「練習で何回やっても弾けなかった。本番もやっぱりダメだった…」とか。
「もうちょっと練習すればよかったな」とか。
「もうちょっと時間があればな」とか。

じゃあ、どうすれば効率よく練習できるのか。

4年間やってきてやっと分かったのは、
まず、「間違いは練習しない」とのこと。
曲練の時、ちょっとやってみて、間違ったら・はいストップ・ちょっと前に戻って・はいもう一回。
これ5回繰り返してやっと1回成功して・はい次行きます、とかね。
結局、間違ったところ5回練習してきて、正しいのは1回しか練習してない。
本番上手くいかなくても当然だろうね。
時間が限られているので、とにかく間違ったことを練習するのは時間の無駄使いだね。
本番では、85%の練習時間間違ったことの練習に使ったのに、緊張しているところに頑張って15%の成功する所を引っ張り出すよね。
こう考えたら、本番で成功したら逆にすごいよね。

じゃあ、どうすればミスなしで練習できるのか。

  1. 全部をやろうとしない。
    音楽の一ヶ所に集中することだよね。それだけ練習する。メロディーの弾き方を練習したいなら、どれぐらいのテンポでやっても関係ない。まずは遅いところから初めて、メロディーを覚えていく。結局、自分の頭はメロディーに集中しているので、音量とか、表現とか、テンポとかは、意識しない。意識しないのだったら、それらの間違いは、頭のプログラムに入ってないはず。逆に、今度はリズムに集中しようと思ったら、メロディーが間違っても、問題ない。音色を直したいなら、リズムは無視していい。まず一つのことだけ集中して、それだけを脳に覚えさせる。音を覚えていきたいなら、本番テンポではやらなくていいので。逆に間違いだらけの演奏になって、間違った音が脳に入ってしまう。
    これは、特に新しい曲をやる時の初段階に重要ですね。
  2. 学ぶ、そして練習する。
    結局楽器は、道具です。頭にある音楽を表現する道具。頭に音楽がないと、何も出てこない。まずは音源を聴く。そして楽譜を読む。何回も読みながら聴いた方がいいよね。複数の音源があると更に良い。比べて、そして自分だったらこう弾きたいなとか、この段階で考え始めるといいですね。頭に音楽が入っていれば、練習するときも、正しい音が頭にあるので、間違いは起こりにくいはず。
  3. 練習したくないときは無理しない。
    ちょっと矛盾すると思うけど、人間の体は肉からできている。機械ではない。休憩は大事。1日8時間の睡眠は必要。練習しすぎるのも逆効果だから。逆にストレスが溜まってて、間違いだらけの演奏になって、結局そういう演奏しかできなくなる。但し、休憩をとることと、練習をサボるのは全然違うこと。
  4. 遅いテンポで練習する。
    「こんな遅いテンポで弾けなかったら、速くしても弾けるわけないだろう」と、自分が2年生の時に当時のマスターさんに言われたことがあった。ある有名なベース奏者が「なんでそんな完璧に弾けるの?」って聞かれたら、「ゆっくりで」って答えた。遅いテンポでやる目的は、音と音の間の「ゴミ」を減らすことです。遅いテンポでレガートで弾けないと速くしても結局バタバタした演奏にしか聴こえない。まずは遅いテンポでその雑音を減らすのが、いい音楽への鍵だと思う。しかも、遅いテンポでは、普段はできないことも、意識できる。構え、音質、ブレズとか、筋肉の緊張感とか、次の音への体の動きとか、その音自体の響きとか、そして音が変わることによって生じる雰囲気など、いろいろ感じ取ると思う。次回の練習では、メトロの数字を上げるよりも、数字を下げてみたら面白いかもしれない。無理矢理やっても結局失敗して、ストレスになって、自信がなくなって、悪影響ばっかり出るので、適切なテンポで練習することがとても重要です。
  5. 歌う。
    表現は歌うこと。弾いてる時に、「もっとうたって!」とか言われたりするよね。別に口で歌わなくてもいい。ただ、自分の中でそのいい音楽が存在しないと、楽器で表現できない。頭の中のその綺麗な声で歌ってみてください。そして、その綺麗な音楽を楽器に伝えて表現してください。

それですかね。
もちろん、これは練習の質を高める方法であって、
結局量が足りないと話にならないので。
量と質、そしてバランスを考えながら練習すると、
音楽もいっそう楽しめると思います。

一年生の秋合宿の思い出

さっきFacebookで、QMCの一年生が秋合宿の出来事とか語ってて、
思い出したな、自分の1年生の秋合宿の思い出。

当時は夏休み中に国に帰って、夏合宿参加せずにいきなり秋合宿で、
初めて学年合奏の存在を知ってかなりビビった。
当然、全然弾けなかった。
悔しかった、あの時は。

帰国のため、合奏もほとんど参加しなくて、いきなり秋合宿のハードなスケジュールで合奏がどんどん来て。
当時は合宿本当にきつかったなっていう印象だった。
合奏と言ってもほとんど聴いてるだけで、
途中で疲れてて構えを緩めたら、
隣で座った四年生の先輩に怒られて、
「弾けなくても、指揮者が振りはじめたらちゃんと楽器を構えて!」
未だに覚えてる。

他の一年生はもちろん自分より弾けてるので、
全然何も弾けてない自分には悔しくて悔しくて、
今考えたら始めの合宿は一番大変だった。

合宿参加するより家で音取りした方がよかったとか、当時は思ってた。
でもあの時合宿に行けなかったら、
今音楽を楽しんでる自分もいないかもしれない。
やっぱあの合宿の悔しさを原動力として、練習は頑張れたのかな。
自分のプライドっていうか、何も弾けてない自分は本当に許せなかった。

かなりブラックな時期だったけど、
それを乗り越えられた直後は一番成長する時期だと思う。
台風の後は晴れるみたいな感じなのかな。

Religious Masochism

 

Habis baca berita jadul. Dari tahun 2007, pas jaman Pilkada juga. Dulu si Kumis yang ketempa isu SARA. Katanya gara2 dia lulusan Kanisius jadi dekat dengan Vatikan dan kalo jadi gubernur nanti tujuannya melemahkan Islam. Dulu sih pas dituduh gitu dia katanya marah-marah, tapi sekarang pas hal yang sama terjadi sama saingannya, kayanya seneng-seneng aja ya.

Yang disayangkan adalah keberadaan kelompok-kelompok yang enggak bosan-bosannya meniupkan isu-isu seperti ini. Entah kenapa ya, mungkin mereka merasa semua dunia menentang agamanya. Seluruh dunia berkonspirasi untuk melemahkan Islam. Selalu agamakuw yang tertindaz, selalu agamakuw yang digangguin hiks. Gila kali ya mereka.

Gua rasa mau siapa yang jadi cagubnya juga, dicari-cari nih hubungannya. Kalo di tetangganya ada gereja, dibilang dia Kristen fanatik yang tinggal di lingkungan Nasrani. Kalo dulu mobilnya beli dari orang Kristen, katanya dia turut menyumbang ke organisasi berbasis agama yang ingin merusak syariah Islam. Kalo dia pelihara anjing yang diimpor dari negara non-muslim, mungkin dibilang dia punya anak buah yang siap menyebarkan agama orang kafir dan melenyapkan Al-Quran dari mesjid.

Hobi kali ya. Mungkin berasanya kudu tertindas terus, terus berperang melawan kebejatan duniawi, biar amal pahalanya besar kelak di surga sana. Yang kasian adalah orang-orang yang menjalankan ajaran agamanya dengan baik dan benar. Nama agamanya jadi jelek kan. Bikin malu aja. Ujung-ujungnya yang sok-sok tertindas itu ya gak pernah jera, gak pernah kena akibatnya. Selalu yang baik-baik yang akan kena getahnya. Ah, emosi.

Mengikuti Perkembangan Pilgub Jakarta 2012

Nonton berita Pilgub Jakarta, makin hari makin seru aja. Meskipun saya terhibur dengan kelakuan sinetron dari para politikus kita, perlu diingat ini adalah sebuah event penting yang akan menentukan garis besar masa depan Jakarta untuk 5 tahun ke depan. Jakarta adalah barometer dari negara kita. Nasib Jakarta selama 5 tahun ke depan tentu saja akan banyak mempengaruhi nasib negara kita juga, sehingga meskipun sinetron Pilgub dipenuhi dengan karakter-karakter yang lucu-lucu, penting agar kita sebagai warga Jakarta tidak menganggapnya sebagai komedi, dan perlu mendukung secara penuh agar tidak berakhir sebagai tragedi.

Yang menarik sih sekarang berita dipenuhi sama aktivitas agresif dari tim sukses gubernur petahana yang berkumis itu. Kalo kampanye ya wong banggain diri gitu ye, saya udah mimpin Jakarta 5 taun punya prestasi ini ini ini, semenjak saya pimpin Jakarta jadi bisa ini ini ini terus rencana saya visi saya itu Jakarta ke depannya bisa melakukan ini ini ini. Eeh, kampanye bisanya ngorek-ngorek borok lawannya. Kalau tim Jokowi-Ahok sih, tanpa perlu mengorekpun, boroknya sang gubernur sudah bisa kelihatan sendiri. Contoh dong ya, Jokowi, meskipun katanya pencitraan dsb, bisa memamerkan prestasinya di Solo. Wakilnya aja bisa memamerkan track recordnya di Belitung Timur, yang sebenernya luasnya 3x Jakarta.

Akhir-akhir ini yang menjadi sasaran ya Pak Ahok, sang calon wakil gubernur. Memang identitas Pak Ahok merupakan sasaran empuk bagi orang-orang yang menganggap masyarakat itu picik, berusaha meraih kekuasaan dengan mengorbankan pluralisme dan solidaritas. Pak Ahok kmaren diserang dari sisi agama, katanya jangan mau dipimpin sama orang yang non-muslim. Terus lagi leluhur Pak Ahok diserang, katanya ngapain dipimpin orang Cina (liat di sini, saya bisa membayangkan kesalnya Pak Ahok yang harus sampai perlu untuk menegaskan, bahwa dia adalah orang Indonesia yang cinta sama negerinya)

Sekarang ada lagi, katanya Ahok enggak amanah, enggak berprestasi dan ternyata korupsi juga.
Ini saya lampirkan link yang mendukung dan menentang Pak Ahok.
Silakan baca ceritanya dari berbagai sisi. Saya percaya warga Jakarta cerdas dan bisa memutuskan sendiri siapa yang sukanya membuat-buat dan menebarkan gosip yang kebenarannya disangsikan, dan siapa yang jujur dan tulus.

Yang ngatain:
http://chirpstory.com/li/14092
http://chirpstory.com/li/14246
http://chirpstory.com/li/14256
http://politik.kompasiana.com/2012/07/30/ahok-dilema-bagi-jokowi-dan-warga-jakarta/

Yang membela:
http://chirpstory.com/li/13006
http://chirpstory.com/li/14994
http://chirpstory.com/li/15040
http://chirpstory.com/li/14185

Kalau kata orangnya sendiri:

 

Biar diskusi enggak bergeser dari masalah utama Pilgub yang kudu adu program malah jadi adu isu negatif, silakan tonton juga programnya untuk menyelesaikan masalah Jakarta:

Sebagai kaum minoritas di Indonesia, tentu saja saya secara alamiah ikut bergairah kalau ada orang Tionghoa yang bisa diandalkan mau terjun untuk memajukan Indonesia melalui kiprahnya di dunia politik. Tapi bukan sekadar masalah rasa kesamaan nasib saja. Bukan karena dia Tionghoa jadi saya dukung. Bukan hal sesepele itu. Saya percaya Pak Ahok memang orang yang idealis dan mau menyingsingkan lengan baju bekerja bagi kemajuan bangsa kita seperti yang sering dipromosikannya.

Mungkin Jokowi maupun Ahok punya banyak kekurangan, tapi saya rasa, kombinasi ini jauh lebih baik dari pasangan cagub/cawagub yang didukung banyak organisasi preman itu. Saya punya KTP Jakarta, tapi sayangnya enggak memungkinkan bagi saya untuk memilih di Pilkada kali ini. Saya berharap saja moga-moga masyarakat Jakarta yang punya hak pilih sadar bahwa pilihan mereka berpengaruh sangat besar bagi kelangsungan ibukota negara kita 5 tahun ke depan. Jangan biarkan berakhir sebagai tragedi.

マルトノ ヒンドラ

昨日テレビで福岡の大学生の名前の調査をやってる番組を見てました。
結構「なんでそういう名前になるの」とか聞かれましたね。
なんとなくそうなったとか、
お父さんの好きな女優とか
漫画のキャラの名前とか、
生まれた場所との関係とか、
親の願いをこめて名前をつけたとか、
いろいろありました。

僕も日本に来て、
「ヒンドラってどういう意味ですか?インドネシアでは結構ある名前ですか?」
とか聞かれたことが何回もあります。
正直答えるのがめんどくさいので、
「何だろうねww」とか「いや、特に意味がないですね」とか適当に答えてました。
ここで告白します。
実はありますよ、意味は。
ただ説明すると結構時間かかるので言わないことにしただけです。

じゃあ語り始めますね。
かなり歴史的な話になるので、長くなりますけど。

僕は中国系のインドネシア人です。
インドネシアの人口は、約4-5%は、中国系です。
特に大都市のジャカルタやスラバヤなど、10%ぐらいですかね。
後はチャイナタウンとか、ほとんど中国系のインドネシア人が集まる地域もあります。

中国系といっても、ほとんどは祖先だけが中国人で、
中国語も喋れない、
中国の歴史とかも知らないし、
文化や生活の習慣の面ではほとんど他のインドネシア人と変わらない人が多いですね。
僕の場合は、父親側の祖父は直接中国からインドネシアに移民して、
そのほかはもう何百年間からずっとインドネシアに住んでいる中国系の人です。

僕は中国の標準語であるマンダリン(北方方言)は全然通じないけど、
中国の方言のひとつである、客家(ハッカ)語 は喋れます。
ちょっと自慢すると、客家語、インドネシア語、英語、日本語、 4ヶ国語喋れますよ。
客家は漢民族の一種のひとつで、ほとんどは東南地方で住んでて、
東南アジアと近いですね。
中央部の中国に南地方に移民してたらしくて、だから「客家」です。
もともと移民が好きみたいで、世界の色んな国の客家人口は8000万人らしいです。
日本人口の 3分の2ですね。

で、いよいよ本題 に入ります。
実は僕は二つの名前を持っています。
中国語の名前と、インドネシア化した名前です。
インドネシアは、スハルト大統領のとき、
中国系インドネシア人をみんな「純粋」のインドネシア人にしようという計画を立ってました。
中国系インドネシア人なんてないって主張しました。
中国語の使用が禁止されて、名前もインドネシア風の名前にしないといけなかったのです。
インドネシアは島国で、300ぐらいの民族がありますけど、
「海外から進出した」中国系の人は、かなり差別されてます。
ほとんど見た目以外は他のインドネシア人と変わらないのにですね。

まあ、いろいろありまして、とにかく最初親からもらった名前は、中国語の名前です。
漢字で、「馬远兴」と書きます。
「馬」は名字で、「远兴」は名前ですね。
客家語では「マ・イェン・ヒン」と読みます。
「远」は「遠い」って言う意味で、「兴」は「喜ぶ」って言う意味です。

何でそんな名前付けたかというと、
僕が生まれたのはインドネシア首都のジャカルタで、
もともと親の家族はブリトゥン島という中国系が多いところに住んでました。
ちょうど僕の兄が生まれたころにはジャカルタに引っ越して、
兄は 「远安」という名前をつけられて、
故郷から遠いところに来ても、安定、安心で暮らせるように、
そういう願いをこめてつけられたらしいですね。
ついでに僕は、「 远兴」、こんな遠いところでも、いつも幸せに暮らせるように、
って言う願いらしいです。
今はグロバル化が進んで世界は小さく見えるけど、
30年前って、国内で引越しするだけでもかなり大変なことなんですね。

もちろん、住民票では中国語の名前が禁止されてるので、
「インドネシア風」の名前に変更しないといけないけど、
名字はとにかく「馬」(マ)という発音が入ったらいいので適当にジャワ民族の名前「マルトノ」を選んで、
名前は「 兴」(ヒン)の発音が入ってる名前「ヒンドラ」を選びました。
マルトノ自体はどんな意味を持つか分からないです。
ヒンドラもかなり珍しい名前で、
もうちょっとありふれた、似てる名前は「インドラ」で、ヒンドゥー教の中心的な神の名前です。
仏教では帝釈天と呼ぶらしいですね。
ヒンドラ自体は分からないけどそういう関係でヒンドゥー教から来た名前だと勝手に想像してます。

インドネシアでは名字持ってない民族もいるので普通は人を呼ぶときはファーストネームで呼ぶんです。
だからマルトノさんと呼ばれると、「誰のことや」っていう気持ちになります。
普通はヒンドラですね。

まとめると、
遠いところにいても幸せに暮らせる、という願いをこめて「馬远兴」から、
意味の分からないインドネシア風の「マルトノ ヒンドラ」 に。
とりあえず「ヒン」だけの発音があればいいので、
適当に「ヒンドラ」を親が選んだんですけど、
今大学のサークルで弾いてる楽器「マンドラ」と、
全然関係ないですからね。
まあ、でもなんとなく運命が感じれるんですね。
遠い日本に来て、ドラとのすばらしい出会いに恵まれて、 今幸せに暮らせるのも、
きっと親の願いのおかげです。
ありがとう。

勉強、試験、研究、そしてサイエンスへ。

明日テストの最後の日。
今まで一番ハード試験になると思うけど最後の試験はたいてい、既に休み気分に入ってしまってもう勉強したくない。
別に今までまじめに勉強したわけじゃないけど。
ただ今の自分の無精さを合理化したかっただけ。

小さいころは、サイエンスがすごい進歩きてたからもう研究することってないだろうなとよく思う。
昔の発明者の話を読んだら、Edisonとか、Einsteinとか、Pasteurとか、Flemingとか、もう全部発明しちゃったから今はもう発明できることがないと思った。
人間が食べるもの、飲む薬、使う機械、発明しきったなんじゃないかなと思った。

最近になって、決してそうじゃなかったと思ってきた。
教科書の時々「xx(物質名)の詳細の作用機構はよく知られていないが、yyにzzの効果があると報告された」とか読んだことがある。
「え、知らないのになんでみんなこれを使ってるの」って気分になっちゃったね。

まだ知らないことは、いろいろあるんだと思い始めた。
今からそれを明らかにするのは、僕らの世代の人間だな。
これからだな。

ただ実際、自分の行動を見ると、これからのサイエンスを発展させる人間の立場から見ると、非常に悲しい状態にある。
日々の勉強はいまいちで、テスト前にだけ明日出る問題を予測してその部分だけを棒暗記する。
そんな勉強の仕方をやっているのだ。
「別に研究者になりたくないからそこまで勉強しなくていいと思うよ」って思う人もいるかもしれない。
とりあえず大学卒業して、卒論のためになんかちょこっと実験やって、ちゃんと就活で頑張っていい企業に入っていい給料をもらって家族と幸せな人生を送ればいい。
別にそういった生き方も、全然大丈夫。
そうじゃなくて、もっと変と思われる生き方をしている人間に対しても、自分には他人の人生を評価する権利はない。
他人の生き方を見下すものじゃない。
ただ、周り見たら、必死に勉強して、「研究者になってサイエンスを進歩したい」ってすごい奴は特にいなくて、
結局僕みたいな人間が、これから世界に生きていて、サイエンスを担当することになるんだなって思ってしまう。
本当に大丈夫かな。

本当に大丈夫なのかな。
昨日は食品の保蔵学のテストだった。
授業の中では、どうやって食品を、原料から、加工の段階で、そして口に入るまで品質を保たれるかを勉強してた。
加工食品によく使われる食品添加物とかもいろいろ試料プリントに書いた。
特になんでそういったもの保存作用があるのかという説明はなかった。
食品の中ではどれぐらい入れたらいいのか、そして食べたらなんか異常が起こるのか、という説明も見当たらなかった。
「今まで使われてきたから絶対だれかもう確かめたんだよな」って思ったけど、
実際みんなそう思ったら、どうなるんだろうな。
結局みんながそう思って、最初の最初の人が「特に調べたことないけど、とりあえず卒論研究のためにちょっと実験やっただけなので」とか言ったらどうするんだろうな。
本当にいいなのかね、自分みたいな人間が将来では、食品を扱うなんて。

まあ実際使用目安量とか書いたらだれがそんなことをわざわざ勉強するだろうね。
テストに出ないんだし。

もしそういった問題がテストに出たら、「そんな棒暗記問題を出してどうするんだよ。一番たくさん覚えれる人間が一番偉いなの?」って文句言いそう。
はあ大変よね、自分は言い訳が多いからな。

結局、研究者でも人間だなと思い始めた。
今までは、サイエンスをやる人間は、自分自身のやっていることは、全てを把握すると思ってた。
何でも聞かれたら答えられる。
現実は逆みたいんだね。

サイエンスの進歩につれて、人類の知識は一人の人間が覚える量だけじゃあ、ほんのちょこっとしか入れない。
3000年では、たぶん大学では学部の数が今の5倍になるんだろうね。
全部学ぶのが無理だからまた細かく分類されているだろう。

完全さを目指す人間が科学の進歩を導いたら、自分としては安心。
自分のやっていることを、細か~~いところまで理解している。
ああいう人が作った食品だったら信頼できる。
何でも食べる。

でも実際完璧な人間は、一人でも世の中では存在しないんだな。
なんとなく勉強して今まで人生を歩いてきたんだねって感じてしまう。
結局自分とほとんど変わらんやなって感じ。
ただちょっと経験が自分より多いだけ。
むしろ、そういう人だったら、自分でもなれる。
今まで特に問題がなかったから、自分の手でもまだ明るい将来があるよな。

上から読んだらわけわからない文章だねこれは(笑)
とりあえず明日のテストにでると思われるところを棒暗記しよう。
サイエンスの明るい将来へ。

おかゆになってしまった…

インドネシアのことわざでは、「おかゆになってしまった」という表現があります。
どういう意味を持つかといういうと、「取り返せないことをやってしまった」、あるいは「元に戻れない状態にあります」ということです。
おそらく昔は今の時代の便利な炊飯器がなかったから、ご飯を炊くときに加熱しすぎて結局おかゆになってしまったという由来でしょうかね。

なんでこんなことを書こうかと思って、最近自分の周りに、決めなきゃいけないという出来事がたくさん出てくる気がします。
これからの進路とか、研究室決めとか、クラブの選曲とかですね。

周りの人は、どっちを選ぶべきか分からなくて、すごく悩んでる人もいるようですけど、僕は正直今まで、人生の歩み方を選ぶときには、悩んでたという記憶はありません(ちなみに電気製品買うときはすごく悩みます)。僕の性格でもありますけど、とりあえず運命の流れに乗っていって、特に深く考えてはいません。日本に留学を決めたのもただ単に奨学金もらっちゃったからだけです(「一緒に受けよう」と僕を誘ってくれた友達が逆に試験で落ちてしまった、あのとき誘ってくれなかったら今はまだインドネシアにいるでしょう、まさに運命ですね)。何でマンドリンクラブに入ったというとただ単に合唱団体の練習時間と合わないからです。

今週はこれからの自分の配属される研究室を決めるんですけど、少なくても1年間、院行ったら3年間ですね、これからの人生の道を選びます。一応僕はもうだいぶ前から決めたけど、今悩んでいる人もまだ結構いますね。研究室を選ぶ基準もざまざまみたいです。興味はもちろん、研究室の綺麗さとか、雰囲気とか、研究室がゆるいとか(逆に厳しいところが好きな人もいますが)、先生との適性とか、就職先とか、英語が鍛えられることとか、どんな先輩がいるとか、同級生が誰が一緒に入るとか、色々ですね。これからの3年間の人生の道を選ぶから当然まじめに考えないといかないけど、周りの話しから他人の判断基準を聞くと時々驚いたこともありますね。それぞれの人は価値観が違うんだなと最近よく思いました。その中でも、同級生や先輩で研究室を選ぶ人がいることに、一番驚きましたかな。まあ、驚くほどではないけど自分の優先順位ではそんな基準は低いところにあります。無愛想な利己心のかたまり僕には分からないことでしょうかね。

大学を選ぶときは、日本語学校の親友がどの大学に行くかまったく無視して九大を選んだわけですね。今東北大学で僕の親友が幸せそうな生活をしている写真をFacebookでよく見ています。ときどきは、もちろん、僕も一緒に東北に行けばよかったな、と思ってます。ただ、そうしたら、今では自分の人生の一部になる九大マンドリンクラブと出会うことはなくなるでしょう。そう考えたら、やっぱり人生では、間違った選択はないです。少なくとも、そう信じていきたいです。一方をやめるときは、もう一方の扉が開くっていうことですかね。僕の中では、「これじゃなかったらだめです!」ということはほとんどありません。選曲とかもね、自分が弾きたい曲が定演で弾けるんだったら嬉しいけど、別にそうならなくても、テープ鑑賞で好きじゃなかった曲が、実際弾くとすごく好きになったということは今まで何回もありました。

今日の題名に戻ると、今選択しました、もう決めました、替えれない、戻れない状況にあります、おかゆになってしまいました。大事なのは、「これからどうする?」ということでしょうね。ご飯食べたいからおかゆを捨てますか?泣きながら食べますか?時間を犠牲にしてまた一から作り直しますか?僕は、世界で一番おいしいご飯を炊くのを失敗しておかゆになってしまったら、次の目標は世界で一番おいしいおかゆを調理することですね。そんな人生を歩んで生きたい。